薬膳を学んだその先にあるもの
薬膳の学びを始めるとき、おそらくたいがいの方が
西洋医学だけではスッキリ解決しない何かしらのトラブルを
食の力をつかって糸口をつかみたい。
と思って門をたたくことが多いのではないかと思います。
私の場合は幼少期身体が弱くて、あれこれ試す中の1つに東洋医学があって、
私に選択肢のないままに漢方薬や食事療法を試す中に
たまたま手ごたえを感じたのが漢方との出会いだったこともあって、
よし!食べ物を見直そう!と気合を入れて薬膳の世界にやってきたというよりかは、
「食事って結構大事なんだな」というのがなんとなく体に染みついた状態で
漢方を学ぶサイドメニューのようなイメージで深めてきた感じではあります。
ですが、それでも本格的に薬膳と中医学を日々深めていく中で、
受け身でいた頃とはまた別の気づきが沢山あって、
日々この知識にたくさん助けてもらえている実感が、日々深くなっていると思っています。
薬膳を学ぶ理由は
自分のためだったり、
大切な家族だったりすると思いますが、
これがもっともっと当たり前の世の中になっていけば、
どんな人でもその人のレベルでの解決策を見つけることのできる素晴らしい相棒になるのではないかなと思っています。
薬膳も中医学も終わりのない学問です。
きっとその奥深さに「なんていうものに足をふみいれてしまったのか」と
愕然としたことがある人も多いのではないでしょうか。
薬膳を学んだ先にあるもの
薬膳を学んだ先に何を見るでしょう?
はじめはあなた自身や身近な方の身体が少しずつ変わっていくことを体感していくと思います。
万年悩まされていた生理痛が治ったり、
原因不明の頭痛の理由が分かったり、
いつも風邪をひいたらこじらせていたのに、軽く済むようになったり。
そんな悩みが軽くなっていく感覚と、
そこに付随して起こるあんまり気にしていなかった体質が変わっていくなんて言うこともあるかもしれません。
身体が変わっていく感動、
「あれ」「もしかして?」という見た目では分からないくらいの小さな変化が
少しずつ実感できた喜び。
これはあなたにとってめちゃくちゃ素晴らしい経験値で、誰にも奪われないエピソードトークになります。
薬膳や中医学を学んだからこそ、その小さな変化に大きな価値を感じることができるともいえると思います。
そうです。
薬膳を学んだ先にあるものは
「小さな変化に気づく力」を感じる力
です。
道半ばだと、今の悩みを解決することに必死で、その価値がどれだけすごいものなのかすら感じられないこともあります。
だからこそ、薬膳や中医学を学んでいるあなたは
今の小さな体の変化、そしてそれを感じた喜びをぜひシェアしていってほしいなと思うんです。
シェアしなくてもどこかに書き留めておいてほしいんです。
じゃないとね、忘れてしまうから(笑)
「ストレスのかかることを我慢して頑張ってる私。グレープフルーツが好きなのは肝気の巡りを良くしたかったからか!」
とか、
「小さい頃鶏の皮がめっちゃ好きだったのは、肺が弱くて皮膚そのものを欲していたからか!」
とか、
「そうか!そうだったのか!」
って自分が思ったことってめちゃくちゃ強烈に残るんですが、それが学びを重ねると当たり前になってきて、
肝といえば酸味だからグレープフルーツなんて当たり前やん、とかなっちゃうと、
始めの感動を勢いとともに伝えるのが難しくなってしまうんです(笑)
是非、今日からそんなことを意識して過ごしていただければと思います。
自分の体質を見立ててはこれが自分に合いそう!と思って食べてみる、それの変化
・・あれ?あんまかわらへんやん。
っていう日も変わらんやんって思ってるだけで、ほんまは変わってるかもしれないですからね!(笑)
ほら、よく何度も何度も同じ山を登ったとしても、最初は気づかなかった脇道の花とか、足裏に感じる土の感触とか、
登るたびに違ったりとか、感じ方が変わったりしますよね。
(…って別に山登らへん私が言うのもなんなんですけどw)
それと同じ。中医学は同じように弁証をしても、その時引っかかる部分ってその時の環境や体調や、自分の知識レベルで変わってくるわけですよ。
そして、それはどれも間違いじゃないんですよね。
この沢を抜けたらあの景色が広がっているとか、予測が立っていても素敵な景色には感動するし、どこに何かあるか全然把握してなくっても、感動できる。
だから中医学や薬膳は試行錯誤の道がすべてめちゃくちゃいい経験で、勉強で、後世に伝えるべき宝なわけです(←ちょっとスケールでかくなってしまった笑)
試行錯誤の「証」是非残してくださいね!